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2010年5月

社長とそうでないヒトの違い。

毎週、社長+プレゼンター4、5名+20名程度の聴衆で構成される、通称「社長ミーティング」がある。質疑応答は社長とプレゼンターの間で行われ、原則として聴衆は発言しない。会議は全て英語で行われ、世界的に注目されているカリスマ社長に、毎回地雷を踏んだ(質問され、それに上手に答えられなかった)不運なプレゼンターが(時には不興を買い)大変な宿題を申し付けられる。われわれはこの会議を裏で「公開処刑」と呼んでいる。先輩プレゼンターたちは、社長はまったく予想だにしていない点をついてくるから質疑応答の対処のしようがないが、それでも万全の準備を尽くしてあとは運を天にまかせるのみだ、と言う。今まで、のぼーんと聴衆側にいたのだが、とうとうプレゼンター側にまわることになった。
事前に、もう明白すぎて質問のしようがないでしょ、という小学生に説明するような単純なスライドを用意し、会議では、とにかく、ネイティブ顔負けの高速回転でじゃべり、そして何もないならハイ次へ、とほぼダッシュ状態で演台から駆け去った。運良く私は公開処刑にはあわなかった。
ヒトは社長の突っ込んでくるポイントは予想不可能だ、という、しかし、入社以来何回かこの会議に出たが、実はそうではないのではないかと思った。要するに、社長と各プロジェクトの担当者レベルでは、視点が違うのだ。突っ込みどころは、グラフ推移の数値が極端に低い(高い)ところとその理由、ロジックがあいまいなところ、業界トレンドに関係しそうなところ、その他経営者の勘で、なんか経営上まずいんじゃないか(もしくはこうしたらもうかりそうなんじゃないか)と引っかかるところである。社長になったつもりで、発表の資料を眺めてみれば、おのずとつっこみどころが分かるはずだ。
(とはいっても実際は社長じゃないのでそれも難しいのだが。)
それにしても、わたしら担当者レベルは、とりあえず自分の抱えているプロジェクトの発表が終われば、ホッとして後に続く内容にはたまにうわのそらになってしまうこともあるが、社長は違う。全部の発表を聞いて必要があるときは容赦なく突っ込む。
(強い)経営者とその他の違い、それはオーナーシップ意識の違いだろう。(強い)社長は会社を背負っているので、それが小さな事であっても仕事に対する意識と関心とこだわりはもう尋常ではない。
オーナーシップ意識の差、それが(強い)経営者とそうでないヒトたちを分ける深い深い谷のような気がする。
それにしても、ミーティングが英語になってまだ数ヶ月しかたっておらず、英語に不慣れな社員が多いというのに、確実にプレゼンターたちはすごい勢いで上達している。退路を断たれてもうやるしかないんだ、という状態に追い込まれたときの日本人の恐るべき適応能力の高さは、世界に誇るべきものだろう。(日本人は危機ドリブン=危機になって初めて行動を起こす、民族だという論文を読んだことがあるが、まさにその通りだ。)

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都心を知る、日本を知る。

外国人が東京に対して抱く印象として一番多いのが、未来的な都市、らしい。
電子マネー+携帯を始め最先端技術に裏打ちされた便利な生活、グルメ、ファッション、最先端のショッピングスポット、サブカルチャーの発信地、といったところが、外国人たちに、日本=未来都市東京のイメージをかき立てるらしい。
そしてそういった先端文化の発信地が、六本木からだいたい半径3キロのエリアに集中している。このエリアを訪れる外国人は非常に多い。そのうえ六本木周辺の居住者の3人に1人は外国人だという。おそらくこのエリアが日本でもっとも国際的で、外に開かれている場所かも知れない。テレビの特集でインタビューされたある外国人が、「なぜ六本木が好きなのですか?」という問いに対して、「ここでは、国籍関係なくガイジンはただ、一つのガイジンという国籍のもとまとまることができて、疎外感を全く感じないからだ。」と答えていた。
この現象は、単一民族国家の日本ならではのものだ。ニューヨーク、ロンドン、パリなど他のどの国際都市でも、ガイジンというだけで国籍関係なくたまたま居合わせた見知らぬヒトたちが一つに団結する、という現象は見られないだろう。最先端文化の発信ということ以外にも、これはこれで東京のこのエリアにしかない独特の特徴を作り出している。

大多数の外国人が現在の日本(=Tokyo)に期待する要素のほとんどがこのエリアにある。このエリアを知る事は、外から見て現在進行形の日本とはどういう特徴をもった国か?ということを知る事につながる。逆に、最先端文化に触れずして、外国人に現在の日本を正確に語る事はできない。

この近辺に居を移してから5年になる。もともと夫婦そろって仕事場の近くだから、とそれ以上でもそれ以下でもない理由で居を定めたのだが、海外に行き、外国人から見た日本を強く意識させられる環境で暮らしたせいか、帰国してからは、少しでも暇さえあれば次々に登場する周囲の話題の場所へ足を運び、外から先端カルチャーと呼ばれるものを肌で感じ、普段の生活に取り入れることにした。そしてこのエリアを知ればしるほど、ここは閉じられた日本の中にあって唯一世界に開かれた場所であり、ここを知らずして日本は語れない、という思いがつよくなってくる。

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日本人の優位性と仕事が奪われる日。

今日の会議、構成員はネパール人、インド人、バングラティシュ人、韓国人...etc...そして、私がただ一人の日本人参加者だった。だが、驚くべき事に、会議の言語は、日本語だった。
これには衝撃を受けた。そして、ここでもまたあたらめて自分の了見の狭さを知った。今までは、外国人が一人でも混じっていた場合は、全て英語で会議をするものだと思っていた。しかし、私は、初めて、流暢な日本語を操り、日本文化を理解し、礼儀正しく真面目に働く大量のインド人企業戦士を擁する、日本市場に特化したシステム開発を請け負うインド系の会社が複数存在することを知った。

目の前で若いインド人たちが日本語で談笑している。彼らは、インド支社の将来の幹部候補生としてインドで採用された新卒で、日本で4ヶ月間の日本語研修を受けている。たった4ヶ月の研修で、もう日本語で談笑している。漢字を駆使したメールも書いてくる。彼らはヒンディー語と日本語は文法が似ているとのたまうが、それは謙遜というものだ。これには衝撃を受けた。

もし、外国人と比較して、日本人の日本市場における優位性が、「日本語を流暢に操り、日本文化を理解し、日本人を相手に仕事ができる。」ということだと定義すると、日本人から優位性が失われ、外国人に仕事を奪われる日も遠くないだろう。グローバル化の外からのプレッシャーで規制なんてものはそのうちなくなり大量の外国人が高度な技術を要する職業に流入してくる。(いや、金融、ITなどのハイエンド人材市場では実際もうかなりしてきている。)

日本語だけではない日本人の優位性とは何だ?細かい事か?空気が読める事か?

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